>>クマ太郎の探険<<
いっつも通過だけの町、少し歩いただけで発見が。

下田の公園

一年ぶりの下田ぢゃ〜。ほぼお昼。
←(拡大)
正面左が『毘沙子島』

真ん中の△形のが
『犬走島』。
防波堤みたいなので
地続きになってます。
犬走島へ続く防波堤は釣りスポットで、前に釣りした事があります。 ただ、防波堤沿いに電線が走っていて、投げるとき邪魔。うまくやらないと振り上げた時に仕掛けを引っ掛けます。。
見上げると、電線に仕掛けがいくつも絡んでぶら下がってる。
去年来たとき見に行ったら、入り口に店があって、入るのにお金を取るようになってたぢょ〜。

←(拡大) まどが浜海遊公園
昔は無かったよなぁ、、と気にはしてた。
調べたら、2002年に出来たそうです。
駐車場も広く、とても綺麗でいい公園。
去年来たとき、夕まづめで子供達が竿だしてた。
今回も一組ぐらいいたけど、あまり居ないっていうことは釣れないのかな? いや、あまりの炎天下なので、やらないんだな。

そうそう、さっきまでの曇天が嘘のよう〜。

公園の一角に足湯があります。
屋根の下で人が座っているところがそうです。
皆でおしゃべりしながら足を浸しています。
そこから右の方向へ細く小川になっていて、
歩くようになっています。

敷き詰められた小石が足裏を刺激して痛気持良い。

下田散策

普段は通過点にしてしまっている下田だけど、少し歩いてみた。
そうしたら、以外なことにナマコ壁(注1)の家があちこちに残っていることに気がついた。
ナマコ壁といえば『松崎町』だけど、ここらへんにもあるんだなぁ。地域的に一緒だしな

ただ普通にブラブラしていたら、なんと唐人お吉のお店という史跡にあたった。ここ〜↑(拡大)
「安直楼」
米国総領事ハリスに仕えた「お吉」が1882年に小料理屋を営んだ建物である。1857年、恋人鶴松との仲を裂かれて領事館に出仕したお吉は、以後、町の人達から「唐人お吉」とさげすまれ、酒に浸ってやがて姿を消す。年月を経て、当家「安直楼」を改行したが、自ら酒に溺れて数年で店をたたむ。幕末開港の陰に咲いた一輪の浜、お基地は1890年、稲生沢川に身を投げてそのはかない生涯を閉じた。48歳であった、なお、当家には、お吉の愛用の遺品も保存されている。
『下田市』
  


その少し先に、やはり風情のある小道を見つけた。
ペリーロードです。
昔は遊郭が並んでいたそうです。
↓(拡大)
川にはいっぱい魚がいた。どうやら鮎の稚魚のよう。↑(拡大) 護岸には蟹もいる。沢蟹か?(拡大)
きっと、水が綺麗なんだな〜。
蓮台寺を抜ける下田松崎線↓(拡大)で松崎へ向かう。気持ちのいい道。
鮎釣り師が沢山いた。季節によっては道沿いに桜やアジサイが咲いて綺麗です。

注1:生子壁:海鼠壁とも記す。
壁面に四角い瓦を張り付け。その目地(つぎめ)を漆喰(しっくい)で小高くカマボコ形にかためた壁を言う。 風雨や火災に耐えられる利点があり、江戸の大名屋敷・寺院等に用いられた。現在も伊豆半島一体の民家等に見られる。 −『百科事典マイペディア』−本分へ戻る↑

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